雨音と鹿(奈良の記憶❶)
目がさめると、まだ朝食も始まらないほど早い時間だった。
基本的に寝ているとき以外はねむたい性分なので、しばらく布団にくるまったまま目蕩んでいたが、やわらかな雨音に誘われて起き出し、窓辺に寄った。
建てられた当時のままの木枠の硝子窓を上げ、近年はめ込まれただろう金属製の片開き窓のレバーを回すと、一瞬やや強い風が吹きこみ、夏の早朝独特の濃い緑の香りが立った。
向こうに見える若草山の雨に濡れる様子はきっと古の朝と同じで、その頃の誰かも同じ景色を見たのだろう思うと心が躍ってしょうがなかった。
──あとでそこまで歩いてみよう。
躍る心にまかせてそんな予定を立て(結構な雨なのに)、身支度にとりかかるため窓辺から離れようとした時だった。
視界の端を、茶色の背中がゆっくりと移動していくのが見えた。
慌てて視線を戻し、窓枠から身を乗り出して下を覗きこむ。
数頭の鹿たちだった。
ホテルの敷地内でもかまわず、仔鹿たちを促しながらそれでもゆったり歩くさまは、悠久の奈良の時の流れそのものに思えた。
ひとしきり動画を撮り、ふと時計を見ると朝食が始まるころだった。
やっと窓辺から離れ、身支度のためバスルームへ向かった。